第六回「歴史と遊ぶ人」

洛風林資料館には、染織品をはじめとして祖父の頃から少しづつ収集されてきた作品が所蔵されています。

これらは国も時代も異なる多種多様な物達ですが、皆それぞれに歴史を持ってここまでやって来ました。祖父と父が訪れた旅先で出逢った物もあれば、人とのご縁がきっかけでこちらにやって来た物もあります。

そんな洛風林の資料をご紹介する上で、Jay Fred Gluck氏は欠かせない存在の一人です。

カバーを外すと美しいペルシャ更紗の装丁の「The Survey of Persian Handicraft」

考古学者であり、ペルシャ美術研究家であったJay Fred Gluck氏(以下、Gluckさん)は、学生時代からペルシャ美術研究の權威であるArthur Upham Pope博士から学ばれ、博士と共に研究調査に携わられました。

Pope博士が第二次世界大戦前に刊行したペルシャ美術についての研究調査を纏められた19巻に及ぶ辞典「The Survey of Persian Art」を日本の編集社にて復刊し、広められた方でもあります。

自身の著書にはペルシャの工芸美術調査記である「The Survey of Persian Handicraft」、Pope博士とパートナーのAckerman博士の伝記「The Surveyors of Persian Art Arthur Pope& Phillis Ackerman 」の他、日本各地の郷土文化、祭事なども詳細に記したガイドブック「Japan inside out」、戦後日本の短編小説を翻訳した「UKIYO」などがあり、ペルシャ文化以外にも、日本の伝統や文化、禅思想についても深く理解されている方でした。

Gluckさんと私たちの両親は日本オリエント学会で出会い、その後交流を重ね、資料館で彼のペルシャ美術展を行う機会を得るなど、私達は彼の美しいコレクションと深い知識と共に多くのことを教えていただくこととなりました。家族は皆、その穏やかでユーモアのある人柄のGluckさんが大好きで、素敵な時間を過ごさせていただきました。

作者サインと、父へのメッセージ「暖かな6月の懐かしい思い出と共に。」

Gluckさんが亡くなられてから20年以上経ちますが、今でも彼から譲って頂いたペルシャの織物や美術品に接していると、いつも彼の事を思い出します。

ご夫婦で神戸にお住まいの頃に初めて家族でお家に遊びに行った時のこと、古いシリアのモザイクが迎えてくれる入口から室内へ入ると、そこはそれまで感じたことの無いような異国の雰囲気に包まれた空間でした。

室内の床には深みのある赤やグレーがかった青の繊細な柄の絨毯が敷かれ、ソファとオッドマンの上にはキリムのクッション、その隣には大きな丸いトルコタイルの石板がテーブルの天板として使われており、

そのソファに座って周りを見上げると、棚には目の覚めるような青い釉彩の水差しをはじめ、原始的な文様が描かれた大きな丸皿、ぽってりとした形の牛型リュトンや土偶のようなふくよかな像が並び、壁には馬に跨る人物が描かれたタペストリーなど、、彼らの長年集めてきたイスラム美術品や考古資料が部屋中に溢れていました。

そしてそれらは博物館に展示されている様子とは少し違い、ご夫婦の日常家具や雑貨と一緒に、何千年も昔に作られた物とは思えないような居心地良さそうな雰囲気で違和感なく馴染んでいました。

彼はまだ幼かった私たちにも古い陶器や古代ビーズなどを手に持たせてくれ、時には大きな壺の中に私達を入れて「アブラカタブラ・・・」と遊んでくれたりもしながら、たくさんのコレクションを見せて楽しませてくれました。

初めて目にする形や、そのインディジョーンズの世界のような空間にはしゃぐ子供の横で、「貴重な資料を壊しては大変だから、、」と母が心配していると、Gluckさんは「形ある物いつか壊れる。」と、笑顔でさらりと言われたという話を大人になってから母に教えてもらった時は、いかにも Gluck さんらしいその返答になんだか嬉しくなったものです。

「本や画像からだけでは分からない事がある」という事は両親からも教えてもらいましたが、ガラスケースや柵越しから観察するだけでは理解できない部分もあるという事をGluckさんからは教えてもらえたと思います。

実際に自分の五感で、肌身で触れて覚えた感覚は、何十年経っても残っているものです。

そしてその感覚は、作品を見る時や、作る時、何かを判断する時の基準にも自然と影響してくるものだと思います。

彼は1980年に開催された展覧会図録の中でこんな文章を残しています。

「1940年、ニューヨークの5番街で一人の長身の紳士が13才の小さな少年に『中に入って美しいものを見てごらん』と言った。私はそこでペルシャ美術を発見し、且つ展示会は楽しいということを発見した。10年後、その『老紳士』がArthur Upham Pope ということを知った。(中略)かつて博士が私に示されたように、この展示会を通じて若者達に、歴史というものは楽しい遊びであると感じてほしい。」(「7000年の歴史と遊ぶ ペルシャ陶器の世界展」図録より一部抜粋)

彼が少年の頃にPope博士に出逢い、歴史の楽しさを教えて貰ったように、彼もまた幼い頃の私たちに楽しむ事を感覚的に教えてくれたのです。

Gluckさんは「形あるものいつか壊れる。」とさらりと答えられましたが、資料を扱う彼の手はとても柔らかい印象だった記憶があります。その時の印象を言葉で説明するのは難しいですが、なんだか長年茶事に親しんだ方が道具を扱う所作にも似たような、堅苦しさはないけれど丁寧で優しさのある手、という感じです。

そんな彼の手から渡された私たちも、子供ながらに何か生き物を扱うような気持ちにさせられたのでした。

ペルシャの木枠ステンドガラス 洛風林資料館入口

私が彼と接したのは幼い頃の事ですが、最近になって、洛風林の所蔵品を通して彼のことを知る研究者や学芸員の方とお話する機会があり、その人柄をより理解することができました。

彼は穏やかでユーモアを持った楽しい方であると共に、いつも目の前の相手に対して(それが異なる文化の人や物であっても変わらず)敬いと礼儀を忘れない方でした。

それは彼の元々の性格や信念からくるものだったのかもしれませんし、または考古学者としての経験から得たものだったのかもしれません。

言葉を発しない物に対して、それがここに辿り着くまでの歴史や背景、存在も記録に残らない作者や関わった人達がいる事をちゃんと理解し、敬った上で接していたんだと、今ではそう思えるのです。

考古学研究者や、長年古物に携わってきた方とお話をしていると、「物も人を選んでやって来る。行くべき所へ意思を持って動く。」という事を度々耳にします。

これは古物に関わらず言えることかもしれませんが、何千年も昔の物がGluckさんの元に辿り着き、居心地良さそうに一緒に過ごしていたあの空間を思い出すと、そういうことか…とつくづく納得させられるお話です。

葉桜の記 第六回「歴史と遊ぶ人」 

2022・3・02

参考文献:「「The Survey of Persian Folk Art」、「The Surveyors of Persian Art Arthur Pope& Phillis Ackerman 」、「7000年の歴史と遊ぶ ペルシャ陶器の世界」

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