第九回「ゆれる糸杉」

永い間使い続けてきた中で生まれる深い色味と、艶のある木肌。

丁寧に彫り出された細かな線の装飾文様。

両手で持つと密度のある木特有の硬さと重さがあり、彫刻部分は繊細でありながらも力強さを感じさせます。

飾っているだけでも存在感のあるこの彫刻は、ペルシャ更紗を作る為に使われていた木版(Wood Block)です。

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木版は同じ図柄を繰り返し捺印できるので、細かいデザインを手描きよりも早く、複数制作できる道具ですが、手描きとは違った線の太細や掠れた部分など、独特の味わいの表現も魅力の一つです。

版木に使用される木材は媒染剤を用いて繰り返し使うので丈夫である事、そして木綿の布に図柄の細部をしっかり表すために版を繊細に深く彫り込めるよう、主にトネリコや柘植、無花果、梨、ローズウッドなどの木目が詰まった硬い木が使われています。

ペルシャ更紗は紀元前には既にインドから技術が渡ってきていたと言われていますが、12世紀にペルシャの王朝がインド北部を征服、それと共に両国の交流や文化の浸透が盛んになってゆく中で、マスリパタム(南インドの東海岸に位置する都市)をはじめとするインド更紗の生産地にペルシャの職人が出向き、その技術を本国に持ち帰った事から本格的に発展したと言われています。

現在も残る両国の更紗を見ていると似たような文様も多く、古代にそれぞれ生まれたデザインが文化交流の中で大きく影響し合った事がうかがえます。

洛風林の資料であるこの版木の文様も、インドとペルシャの更紗でよく見られる文様です。

19世紀、インドを植民地としていたイギリスが、インド更紗の美しさに魅せられ、そのデザインの織物をスコットランドのペーズリー地方で大量生産して世界各国に広めたことで、「ペーズリー柄」と別称される事も多いこの文様ですが、イランでは「ボテ(boteh)」、インドでは「ブーテ」「カルカ(kalka:インド語で火焔の意)」などと呼ばれます。

「boteh」は葉の茂みや灌木を意味し、インドのカシミヤショールでよく描かれる「buta」は花を意味する言葉が語源になっているので、図柄のモチーフは概ね植物の形からイメージされたものと考えられますが、図柄のサイズや作られた地域によってもその捉え方は違います。

「松毬」、「椰子」、「風にたなびく糸杉」、「ゾロアスター教の聖火を象ったイメージ」、など諸説あるようですが、

その中でも「糸杉」は、古くから西アジア〜地中海周辺の地域で生命の樹、聖樹としてデザインモチーフとされている植物です。(糸杉はヒノキ科イトスギ属の植物の総称で、各地で様々な種類があります)

「糸杉」と言えば画家のゴッホが晩年、その魅力に取り憑かれて描き続けた作品を思い出す方も多いかと思いますが、聖書の中にも度々登場し、ヨーロッパでは死への哀悼や生命、復活を意味する植物としても神話や宗教画の中に描かれてきました。

過酷な砂漠地帯であっても常緑である事から、ペルシャを含む西方の多くの地域では「生命力」と「永遠の繁栄」の象徴とされ、天に向かって力強く成長する樣からイスラム美術の中では、「尊厳」の象徴ともされています。

ペルシャの古い伝説や物語の中に出てくる美しい人物はよく糸杉に例えられ、そのイメージは「尊厳ある佇まい、清廉潔白、神聖」といった印象を表しています。

凛々しくそびえる糸杉が、砂漠の風に吹かれて悠々と揺れる姿は確かに炎が燃え上がるようでもありますし、先端がしなる様子がボテ文様のモチーフだと思うと、改めてこの見慣れた文様が躍動感ある生き生きとしたデザインとして目に映ってきます。

シンメトリのデザインが主流のイスラム美術の中で、非対称で動きのある「ボテ文様」はインドを主とする異文化との交流の中で生まれたものだと思いますが、

曲線のある糸杉はどこか「柔和さ」を感じさせ、このペルシャの板木を眺めていると異文化間の交流で生まれるデザインの大らかさや面白さも想像させてくれます。

九寸名古屋帯「ペルシャ板木文」

この版木をモチーフにした名古屋帯「ペルシャ板木文」は板木の迫力ある存在感をそのままに、手描きとはまた違った木版の掠れ具合や、繊細な彫刻文様を織技法で表現しています。生地の組織は 趣のある版木の文様が引き立つように、少し細い紬糸で織り上げているので、細かな節が表すその風合いには見飽きない味わいがあります。

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版木は繰り返し何度も使用できるほど丈夫ではありますが、このペルシャの版木は18世紀から19世紀の物で、長年染色に使用されていた事もあり細い部分は摩耗し、繊細になっています。

父はこの版木を図柄の資料として保存していたので、なるべく劣化を進めないように大切に扱っており、資料として拓を取る時は、あまり負担を掛けないよう「乾拓」の方法を用いていました。

「乾拓」は石碑やレリーフなどに直接染料や水分が付かないように拓を取る方法です。

紙を版木に乗せ、その上から釣鐘墨などで優しく摺って形を取るのです。

ある日、そんな事を知らない母と姉(現社長)は、「あのペルシャの版木を使って帯を作ろう」と思いつきました。

版木を元にして手描きの図案を作製することも可能でしたが、そうすると版木の持つ独特の掠れ具合が出せず、整いすぎてしまいます。それでは面白くないから・・・と、木版本来の使い方で図柄を写す事にしました。二人にとっては全く違和感の無い方法です。

版木に直接墨汁を塗り付け、「あら、いいわね」と話しながら楽しく刷っているところに不在だった父が戻り、、、卒倒しそうになったのは言うまでもありません。

古い資料の扱いについて考えると、その時の父にはとても共感できますし、父が資料館の玄関にいつも巨大な松毬を飾り、敷地内に糸杉を植えていた事からもこの文様に付随した想いがあるのが分かるのですが…結果的には乾拓では取れない木版独特の掠れも写すことが出来、その後版木の迫力が残る大胆な図案が出来上がったのでした。

魅力のあるものづくりの為には、時に大胆な行動も必要ということですね…。

                             2023「ゆれる糸杉」

参考文献・資料:「染色の美 世界の更紗 京都書院」、「ペルシャ絨毯図鑑 アートダイジェスト」、「ペルシャ絨毯文様事典 柏書房」、「カシミール織 平山コレクション 講談社」、「CACHEMIRE Monique Levi-Strauss」、「中近東染織図録 明石染人」

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