「十一面観音とイコンの帯」

二ヶ月ほど前のお話になりますが、長年洛風林とお付き合い頂いている小売店のご主人とお話していた時のこと、「滋賀県の高月に訪れた際に立ち寄った向源寺の十一面観音像がとても素晴らしく、気づけば長時間その観音像を眺めて過ごしてしまっていた。」というお話を聞かせていただきました。

向源寺の十一面観音像は土門拳さんの写真集では拝見したことがありましたが、いつも素敵な作品や場所を教えてくださるご主人のお話を聞いているうちに、ぜひ間近で拝見してみたいと思い、さっそく次の週末に滋賀県の高月に出向いたのでした。

高月は京都市内から北陸本線を利用して1時間半も掛からない距離で、さほど遠方の場所ではありません。ですが訪れたのがまだ2月末だったこともあり、京都市内では暖かな陽射しも感じられるほどの陽気だったのが、電車で北へ進むにつれ田園風景はどんどん白く包まれてゆき、車窓から見える景色はあっという間に一面の雪景色へと変わってゆきました。

高月の駅を降りる頃にはすっかり遠くの雪国に降り立った気分になっており、向源寺までの道程は出歩く人影もなく閑かで、真っ青な空とひんやりと澄んだ空気の中を歩いていると、これから対面する十一面観音像への心持ちもいっそう清々しく、そして少し厳かな気持ちにもなったのでした。

渡岸寺観音堂(向源寺)の十一面観世音菩薩像は天平八年(736年)、全国的に天然痘が流行し、また中央では権力闘争が激しく世情が不安であった為、聖武天皇が奈良の大仏の建立と共に地方から高僧を招かれて国家安康病気平癒を祈られた際、その招かれた高僧の中の一人である泰澄大師(現在福井である越前出身で加賀白山で修業されていた)が奈良へ上られる途中で造られたのがこの観音像だと寺伝では残されています。

その後の調査からは観音像が造られたのはもう少し後の平安時代前期ではないかとも考えられており、そうなると作者は不明となりますが、十一面観音が白山の本地(仏、菩薩の本来の姿)とされる事からも、この像は泰澄の人々を守る為の祈りをしっかりと表している形のようです。

昭和28年に新国宝に指定されたてからは寺の敷地内に建てられた収蔵庫に移されており、その厳重な扉から中に入れていただくと、すぐ目の前に観音像は立っておられました。

初めて間近に拝見するその佇まいはとても柔らかでいて美しく、正面に立つと少し緊張するほどの力強さも感じられる姿でした。

温湿度もしっかりと管理された厳重な収蔵庫の中に立つ観音像を拝見すると、祀られた当初はどんな場所にいらっしゃったのかという想像も膨らみますが、全方面からゆっくりと拝見させていただける為、写真集では分からなかった観音像の表情も知ることができました。

檜の一木造で彫られたしなやかな全体の流れも美しいですが、間近で見るその木肌はとても滑らかで、彩色が剥がれて自然と浮き出てきた元々の木目や閑かな艶がとても美しく、生きているような温かみも感じるほどでした。

高月を訪ねてからの数日間、暫くあの美しい佇まいの観音像を思い出して過ごしていると、ふと洛風林のある帯が頭に浮かびました。初代の頃に図柄を制作した「イコンダール立涌」という名の帯です。

大胆に配した縄目模様はとてもシンプルな図柄ですが、大らかでいて、どこか芯の力強さも感じさせるような印象です。この図柄のモチーフはエチオピアのイコン(聖像画)で、日常の中でいつでも祈れるように、持ち運びもできる大きさに作られた木製の物です。

紐で取り付けられた扉を開くと聖母子像が現れ、その画を囲む枠の部分は木彫りの縄目模様になっています。その造りはとても素朴で可愛らしく、親しみが持てる趣です。

参考画像「エチオピアのイコン」(『世界の民芸』朝日新聞社 より「芹沢銈介解説 イコン」)

向源寺の十一面観音とは国も宗教も全く異なり、荒彫りで素朴なこのエチオピアのイコン画をモチーフにした帯をなぜ連想したのか暫く分かりませんでしたが、考えてみるとどちらも日常の中で人々ととても近い存在として寄り添い、信仰されて、長年大切に扱われてきたという事が挙げられます。

向源寺の観音像はこれまでずっと渡岸寺の村人を守り続け、あつく信仰されてきましたが、その長い歴史の中では何度も危険な状況がありました。戦や焼き討ちに遭う度に村人達は自分の身を守るよりも先ず像を土中に埋めて隠し、観音像を守り続けて来たのです。そのお陰で今の美しい姿が残っているのだそうです。

その話を聞いて、あの柔らかでいて力強い佇まいや、体温も感じるような滑らかな木肌が、村人達の信仰心と、何度も土中に埋められた事で出て来た美しさなんだと納得しました。

造られた当初は金箔や鮮やかな色の彩色も施されていたとされていますが、今の姿を拝見すると、観音像は長年村人たちと寄り添い、信仰され、それに応えるように造られた当時よりも一層温かくて美しい姿に変化して来たのではないでしょうか。

肌身離さず持ち歩かれていたエチオピアの素朴なイコンからもそれと同様の、日常の中で育まれてきた親しみの持てる神聖さと美しさを感じ、帯の事を連想したのだと思います。

洛風林名古屋帯「イコンダール立涌」

その後、あの木肌を思いながら新たに配色した帯「イコンダール立涌」が先日織り上がりました。また今までとは少し違う表情を見せてくれています。

                            

2022年4月「十一面観音とイコンの帯」

(参考文献:「渡岸寺観音堂 向源寺」、「世界の民芸 解説:浜田庄司・芹沢銈介・外村吉之介」朝日新聞社)

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